集合住宅の歴史を覗いてみよう。江戸時代の集合住宅と言えば、時代劇でよく出てくる。いわゆる、「長屋」。当時は壁も薄く、ほとんど、プライバシーもなく。長屋全体が、大家族的な付き合いをしていた。
もちろん、プライバシー全盛の現世では、考えにくいが、「セキュリティー」という点では、優れていた。何せ長屋住民・全員がいわゆる、「顔みしり」不審者が長屋に入ってこれば、「すぐわかる」状態だった
と言われている。テクノロジーが発達した、現代でも、最大の「セキュリティー」対策は、居住者のコミュニティ力であることは、変わりはない。泥棒は「挨拶を嫌がる」と言われている。日頃の、「挨拶運動」
などが、マンションでも、「最善のセキュリティー対策」と言える。
時代は、進み、大正期になると、皆さんも、ご存じ。世界遺産・長崎・軍艦島がある。当時 軍艦島は埋立地で、狭い面積に、多くの炭鉱夫と家族を住まわせねば、ならなかった。必然的に、平屋では無理で、
鉄筋コンクリート造の高層建築が求められ、建築されていく。職業柄・危険度から、炭鉱夫の給料は破格によく、居住者は裕福な暮らしをしていたようである。全盛期には、島内には、学校、床屋、食品スーパー
診療所などなど、ほぼ島内で賄えるほど、栄えたようである。島内に「緑」は無く、住民は、本土に行くたびに、「土と緑」を持ち帰り、屋上に、庭園を造っていたといわれている。
本来、マンションは、そもそも、「土地が狭い又は、土地が高い」からできた商品で、地方都市・郊外にもたくさんマンションはあるが、元来のマンションの「意味」からは、かけ離れていると、言えるだろう。
時代は進み、約60年前、マンションが登場するが、当時のマンションは、その名のごとく、万ションで、一部の富裕層を対象とした、高級マンションであり、マンションによっては、「エレベーターガール」も
存在していた。さらに、時代は進み、40年程前くらいから、「大衆マンション」が普及する。
そして、約20年程前くらいから、地方都市では、駅前周辺の「好立地」にタワーマンションを筆頭に、次々、マンションが建てられている。近年のこういう「好立地」型のマンションは、必ずしも、ファミリー向け
ではなく、中・高層階級向けの、高級マンションである。
特にここ20年程前から、マンションの「法整備」が進み。特に築20年以下の物件は、良好な状態のマンションが多い。